気分の浮き沈み、不眠、「自分のことが好きになれない」、孤独感などに苦しんでいた女性⑧心の整理と人生の目的の発見編
ディマティーニ・メソッド・ファシリテーターで心理学博士の古宮昇です。
パニック、不眠、極端な感情のアップダウン、激しい孤独感、男性への激しい不信感と性への嫌悪感などに苦しんでいた30代の女性がいます。
彼女はディマティーニ・メソッド®を通して、②母親への怒り、③父親への怒り、④レイプされた経験の傷つきに取り組みました。
その結果、それらの症状が短期間のうちに、ずいぶん軽快もしくは消失しました。
ぐっすり眠れるようになるとともに、躁うつ状態がなくなり、恋人からしばらくイーメールが来ないからといって以前のような強い恐怖に襲われることもなくなりました。(⑤見捨てられ不安編 ⑥ディマティーニ・メソッド®から得た洞察編)
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気分の浮き沈み、不眠、「自分のことが好きになれない」、孤独感などに苦しんでいた女性①
ところがその後、激しい抑うつ状態に陥り、自殺願望さえ抱くようになった出来事が起きたのです。
彼女は生理学分野での博士号を取得することをずっと目標にして生きてきました。
研究業績もそろったので、博士号取得の手続きをしたい、と大学院時代の恩師に話に行ったところ、恩師から「今は博士号の取得は無理だ」と言われたのです。
(⑦恩師の拒絶と抑うつ編)
では、その女性の手記第8回目をどうぞ。
目次
生きる意味の喪失、激しい落ち込み、絶望感、自殺願望
私はずっと、博士号を取るために努力してきました。
博士号を取り、常勤職を得て、それから結婚しようと考えていました。
しかし、現実は思うように進みません。
恩師に博士号は無理だと言われたことで、私には博士論文を書く能力がないと言われたと受け取り、ショックで夜も眠れず、憂鬱でふさぎ込んでしまいました。
結婚もせず、プライベートの時間も割いて研究に明け来れた今までの生き方は間違っていた・・・
私は研究に向いていないんじゃないか・・・
今まで費やしてきた歳月はすべて無駄だったんじゃないか・・・
私は絶望感に襲われ、生きる意味を失い、自分は何のために生きているのだろう、死んだほうがいいのではと真剣に考えるようになっていました。
歩いていてもバイクに乗っていても、気がつくと涙がこぼれ、電車を見ると「跳び込んだらラクになる・・・」と考えている自分がいました。
激しいうつ状態におちいり、精神科に行こうと思っていたまさにその日、古宮先生の予約を取ることができました。
ディマティーニ・メソッド®を受けて人生の究極的な目的に気づく
古宮先生とのセッションで、私一人では見えていなかったことがつぎつぎと見えました。
私は、人生の目的の一つに博士号を入れていましたが、
ディマティーニ・メソッド®の対話を通して、
私が人生で目指す究極的な目標は、
後世に受け継がれ、読んだ人たちの視野が広がるような価値ある論文を書くことである、と明確に分かりました。
つまり、博士号は私の人生において究極的な目標ではなかったのです。
私は、博士号を取らなければ自分は研究者として認められないという恐れから、人生の本当の目的を見失っていたのでした。
私は、結婚せず薬理学の研究職を選んで過去2年間、努力を重ねて来ました。
そのこと自体は、私が目指していた生理学分野の博士号に直接結びつくものではなかったので、その歳月と努力がムダだったのか、と激しく落ち込んだのでした。
でもその2年間の研究活動が、人生において目指す究極の目的にとても大きく関わっていたことが分かりました。
それは、論文を書くスピードだったり、海外での実績の作り方だったり、研究の素地だったり、他分野の先生がたと共同研究を始めたことだったり、より大きな仕事をするための研究費の獲得の仕方だったりと、人生の目的と密接に繋がっていたのです。
それらは恩師から得ることのできないものでした。
何も無駄なことはなかったとはっきり分かりました。
私はこの2年間で、確かに自分の中に、実績に裏打ちされた経験値を蓄積していたのです。
私は自分の人生の目的を達成するための着実な一歩を踏み出していたのでした。
ディマティーニ・メソッド®のセッションで、私は人生の目的を明確に思い出すことができ、
自分の歩みは着実にその実現に繋がっていることが分かりました。
自分は未熟という思い込みを外し、研究者のアイデンティティを得る
さらに、人生の目的を実現するために今から何の具体的な行動をすればいいのかも、セッションでの対話の中ではっきりしました。
また、私のことを否定したと思っていた恩師は、私がいっそう力をつけるために必要な試練と支援の両方をくださっていたことも分かりました。
すると、恩師に対して感謝の思いでいっぱいになり、
あれほど辛かった、生きている意味の喪失感という抑うつ感情はなくなりました。
そしてまた、「博士号がなければ私は研究者というアイデンティティが得られず、未熟な私は結婚もできない」と、自分に課していた重い足枷も外すことができました。
博士号があることは研究者にとって大切です。
しかし、分野によっては博士号を持っていない研究者もたくさんいます。
私はその事実を見落としていました。
博士号があるからといって研究者として一人前というわけではないのです。
博士号は持っていても私と同じだけの業績をもつ若手研究者はそう多くありません。
私は、すでに研究者として立っていました。
私はやっと、自分は未熟である、という思い込みを外し、研究者であるというアイデンティティを手に入れたのです。
そして、私の恩師である大学教授ですら博士号は持っていませんでした。
これからも、機会を見つけてセッションを受け続けようと思います。
精神科に行かずにセッションを受けて本当に良かったです。
2時間20分にも渡る長丁場の中で、バラバラだった事象を一つ一つ繋げて、
理路整然と意味を見出すお手伝いをしてくださった古宮先生に、心からお礼申し上げます。
解説:自分は未熟で価値がないという傷を癒し、さらなる成長へ
私たちの癒しと成長には限界はありません。
どこまでも成長できます。
だからこそ私たちは、生きる意味を感じ続けながら、人生の歩みを進めてゆけるのでしょう。
この女性は、ご両親に対する感情のわだかまりと、中学生のときにレイプされた体験についての心の苦しみはかなり解決したのですが、それでもまだ未解決の課題がありました。
その課題のため、博士号の取得について、恩師から今はまだ無理だと言われたことで、自殺まで考えるほどの苦しみにおちいったのです。
彼女は幼いころからのご両親との関係において多くの傷つきを経験し、「私はダメな子だ」と信じるようになったのでしょう。
その不安は、「博士号を取らない限り私は未熟で価値のない人間だ」、という信念へと形を変えたのでしょう。
彼女が博士号にこだわり、それが思うように手に入らないとひどく落ち込んだその苦しみの根本には、彼女が自分のことを愛せない、その思いがありました。
さらには、自分のことを愛せない人は、多くの場合、本当は自分への憎しみがあるのではないか、と私は推測しています。
そしてその憎しみの根本は、親など、生育期において重要な人に対するものです。
仮に、博士号取得という目標が、そのような傷つきと恐怖に基づくものではなく、
「自分がしたい仕事をして、自分の可能性を発揮するため」という発展的な意図にもとづくものであれば、
自分自身に対する基本的な安心感が根本にありますから、博士号にしがみつくことはなかったでしょう。
仮にそうであれば、博士号の取得が不可能になっても大きく落ち込むことはなく、人生の目的を達成するために別のルートや方法を見つけて、力強く生きてゆくことができたでしょう。
この女性は今回の危機を通して、そういう心のあり方に、大きく一歩も二歩も近づいたように思います。
博士号獲得についての悲壮感が消え、のびのびと研究に取り組むほうが、却って博士号取得には近道だと思います。
彼女は今回の危機を脱してからも、さらにディマティーニ・メソッド®を受けることを決めました。
それはこれまでのように、激しい苦しみに襲われたとき、やむに止まれずおこなうのではなく、
いっそうの成長のために、みずから取り組むようになったものです。
そして彼女は、恋人との関係と性において大きな変化を経験します。
それについて、次回ご紹介します。(次回 ⑨不倫編はこちら )
古宮昇(こみや・のぼる)
最初からもう一度読みたい方はこちら
気分の浮き沈み、不眠、「自分のことが好きになれない」、孤独感などに苦しんでいた女性 ①DMは不要と思っていた
②母親の無視・無関心編 ③父親への怒り・性への嫌悪感編 ④レイプ体験編
⑤見捨てられ不安編 ⑥ディマティーニ・メソッド®から得た洞察編 ⑦恩師の拒絶と抑うつ編