いまここで幸せになる方法:「7つの不安」と過去の「2つの罪悪感」から自由になればいい!
目次
はじめに
あなたは自分が幸せになることについて、後ろめたさや不安はありますか?
それは、
精神世界の領域で幸せになることについてですか?
知的活動の領域で幸せになることについてですか?
仕事の領域で幸せになることについてですか?
お金の領域で幸せになることについてですか?
家庭の領域で幸せになることについてですか?
身体・健康の領域で幸せになることについてですか?
社交・人付き合いの領域で幸せになることについてですか?
でも、実は私たちが感じている後ろめたさや不安の原因というのはすべて幻想です。
後 ろめたさというのは、過去にしたこと(あるいは、しなかったこと)について、ネガティブな意味だけを認識しているときにおきる感情で、一方、不安というの は、将来に起きること(あるいは、起きないこと)についてネガティブな意味合いだけを認識しているときだけに起きる感情だからです。
宇宙で起きることについては、すべて例外なく、ポジティブな側面とネガティブな側面があり、両者を統合すれば究極はニュートラルなので、自分が幸せになることについて、後ろめたさや不安を感じていたとしたら、それは自分が幻想を見ていることの証拠でもあるのです。
では、幸せとは何でしょう?
古今東西、人の数だけ幸せの定義があるかもしれませんが、ここでは、「幸せとは、自分の人生の最優先事項をいまここで最大限に生きること」であると定義したいと思います。
「なるほど、それができたら、本当に幸せだろうなあ。でも、それができないからつらいんじゃないのか?」
と いう意見が聞こえてきそうですが、そこで、ゲームセット、ないしは思考停止してしまうのではなく、「では、なぜそれができない、と考えるのか?」と考えて ください。そうすると、「自分の最優先事項を優先すると様々な不都合なことが起こり、それが不安だ」という答えが見えてくるでしょう。そして、過去に自分がしたこと(あるいは、しなかったこと)が罪悪感や後ろめたさになって、自分が幸せになることにブレーキをかけているということも見えてくるでしょう。
しかし、不安や後ろめたさは冒頭で述べたように、幻想から出てきています。ということは、その幻想さえ、解消すれば誰でもいまここで幸せになることができるのです。
そこで、今回は不安と後ろめたさを考察することで、いまここで幸せになれる方法を論じてみたいとい思います。
7つの不安を解消すると、いまここで幸せになれる!
では、幸せになることにどんな不安があるのでしょう? 実はそこには人生の7つの領域にまたがる不安があるようです。
精神世界における不安を解消する方法
私たちは特定の信仰があるないにかかわらず、何らかの精神世界を内面に持ちながら生きています。したがって、自分が本当に生きたいように生きると、その精神世界の戒律やルールから外れることになり、何か問題が生じるのではないかと思いがちになるわけです。
た とえば、もし自分が自分の本当にやりたいことを優先させると、バチがあたるのではないか、という不安はその典型的なものでしょう。しかし、バチがあたると いうことを考えた場合、一方のバチを与える側のことを考えることも忘れないでください。相手にバチを与えるということは、「○○が何か悪いことをしたか ら、バチを与える」ということを意味しています。しかし、この宇宙で起きるすべてのことには、ポジティブとネガティブの両側面があり、そもそも「○○が悪 いことをした」という認識は成り立たないのです。もし、それをごく自然なものとしているのであれば、そのバチを与える側の精神性はきわめて一面的で、表層 的なレベルであるといえるでしょう。
すなわち、あなたが真に自分のミッションの中で、ハートから出てきたものについて行動したの であれば、そこにはバチを与えられる理由はありません。あなたのする行動は、あなたにとってポジティブとネガティブの両方の意味があり、相手にも両方の意 味があるからです。バチは幻想なのです。
知的活動領域における不安を解消する方法
知的活動領域における不安の最たるものは、やはり「自分はアホなのではないか」ということでしょう。
しかし、それも幻想です。なぜならそれは誰でもある特定領域では天才性を発揮しているからです。いいかえれば、誰でも自分の最優先事項の領域では天才なのです。でも、それがなかなか見えないのは、社会における支配的な価値観のフィルターを通しているからです。
た とえば、現代社会の最も代表的な価値のひとつは、学校で教えられている科目で天才性を発揮させることでしょう。しかし、人間の無限の営みは学校教育だけで はとてもとてもカバー仕切れません。学校教育の枠組みには収まらない領域で、多くの人たちは天才性を発揮しているのです。
以前、私のクラスに語学だけではなく、ほかの教科についても強い苦手意識をもっている生徒がいました。しかし、放課後、その生徒は全国レベルの踊りのチャンピオンでした。
つまり、社会の支配的な価値観から評価されないからといって、「アホ」とはいえないわけです。どうぞ、自分の天才性を社会理想主義の価値観を通さずに発見してみてください。
その領域では、あなたはいまここで幸せになれるのです。
仕事の領域における不安を解消する方法
仕事の領域での一番大きな不安のひとつは、自分の好きなことをやったら、仕事をやめなければいけないのではないか? そして、仕事をやめたら、自分は一生仕事をもてないのではないかという不安です。
しかし、この不安も幻想に基づいています。どんな状況でも、ビジネスチャンスは隠れているからです。
古 今東西様々なビジネスがありますが、それらに共通しているのは二つのことです。一つは、人々の欠乏、すなわちニーズを満たしているということです。別の言 い方をすれば、問題を解決することのできるところにビジネスが成立するのです。二つ目は、同じビジネスの領域であっても、より効果的に効率よくできるビジ ネスはより成功する確率が高くなるということです。この二つの認識なしでは、ビジネスの領域における真の幸せはないでしょう。
アンソニーロビンスによれば、人間には6つのニーズがあります。それは以下のとおりです。
1.確かさ。変わらないこと。
2. 不確かさ。変わること。
3.自己重要感。
4.愛とつながり。
5.成長。
6.貢献。
ビジネスというのは、こういう人間のニーズを満たすところに成立するのです。たとえば、
1.確かさ。変わらないこと。(例:健康、美容、保険)
2. 不確かさ。変わること。新しいこと。(例:エンターテイメント)
3.自己重要感。(例:ファッション、ブランド)
4.愛とつながり。(例:ネットワーク、)
5.成長。(例:教育)
6.貢献。(例:様々な形の貢献、子ども、ハンディキャップ、発展途上国など)
などです。
こうしたことをより効果的、効率的にできるビジネスは大いに発展するポテンシャルをもっているのです。
もし、自分のやりたいことをやると職を失うのではないかという不安があるのであれば、
(1) 自分のやりたいことを展開することが、自分の属している会社にどのようなメリットをもたらすか、そして、会社の仕事が自分のやりたいことにどのようなメ リットをもたらすのかを明確にすることが大切でしょう。それが見えてくると、別に会社をやめなくても、思い切って自分のやりたいことができるという確信が もてるでしょう。
(2)その上で、もし自分のやりたいことをやるにはどうしても会社をやめなければいけないのであれば、自分の最優先事項を上記のニーズに当てはめてみて、どのようなビジネスができるかを考えてみるのもいいかもしれません(注:本当に会社を辞めるかどうかは自己判断でお願いします)。
お金の領域での不安を解消する方法
お金の領域での不安でもっとも大きいもののひとつは、「好きなことをやったら、お金がなくなってしまうのではないか?」、あるいは、「好きなことをやるだけのお金がない」ということかもしれません。
お 金というのは、どれだけ人に貢献できているかという一つのバロメーターであるという側面があります。別の言い方をすれば、先ほど、仕事の領域のところでも 話したことと関連するのですが、お金というのは、どれだけ人々のニーズを満たしているかということを示す指標であるという側面があります。
したがって、自分の最優先事項の中でどのような形で、人々の6つのニーズを満たすことができるかを考えることがここでも重要になってくるわけです。
ここで大事なことをいいます。よく、Drディマティーニがいうことでもあるのですが、私たちは誰でも億万長者であるということです。もう一度いいます。私たちは誰でも億万長者です。
あ まりに荒唐無稽なことのように聞こえるかもしれませんね。でも、これは誰でも最優先事項の中では、億万に匹敵する価値をもっているということです。ただ、 それがお金の形をしていないだけであるわけです。つまり、お金ではなく、人によっては、精神性として、知識として、人脈として、身体的な美しさやパワーや スキルとして、現れているだけで、それをお金に換算すれば誰でも億万長者であるというわけです。
しかし、ここで足をひっぱりかねない一つの要素があります。それはお金に対するネガティブな感情です。たとえば、「お金にこだわるなんていやしい」というような、「お金=悪」という図式があると、自分の「億万長者」がお金の形をもちにくくなるのです。
したがって、お金の領域でお金の形で幸せになりたいのであれば、自分の最優先事項やミッションにとって、多くのお金をもつことがどのようなメリットをもたらすのかを明確にして、「お金=悪」という枠組みを溶かす必要があるでしょう。
家庭の領域での不安を解消する方法
この家族の領域には、自分の愛する人も含まれますが、自分が自分の生きたいように生きると、愛する人や家族を失うのではないかという不安が典型的な不安の一つであると思われます。
しかし、この不安も幻想から出ているといえるでしょう。
仮に自分のミッションに基づいた行動をとり、その結果、家族や愛する人が自分の下から離れていったとしましょう。
その結果、さびしい、つらいと感じるのは、実はその人たちに対して一面的な好意を抱いていたからという側面があります。
宇 宙は必ずバランスをもたらすものなので、そうした家族や愛する人から自分にもたらされていたことが自分にとって、プラスだけだったと考えるのは一面的な認 識であり、賢明なものであるとは言いがたいでしょう。家族や愛する人が自分のもとを離れる前にしてくれていた「いいこと」によって、デメリットももたらさ れていたはずです。どうぞそれを掘り下げてみてください。きっと、あなたのミッションにとって、その「いいこと」の中にはブレーキになるようなことも含ま れていたことにお気づきになるでしょう。
そして、この宇宙のすべてのものは究極はエネルギーでできており、エネルギーは「エネル ギー保存の法則」からいえば、消滅することはなく形を変えているだけなので、表層のレベルでは失われたと思っても、深いレベルで考えると、新しい形で失わ れたと思ったものが存在していることに気がつくはずです。
たとえば、私は自分のやりたいことをするためにオーストラリアにやって きた側面がありますが、その結果、父の死に目に会うことができませんでした。当初は喪失感がありましたが、その後、父と様々な形で「再会」することができ て、心からそこに愛と感謝を感じたことがありました(今でも感じています)。その中でも、父のもっていた厳しさを家族のメンバーの中に発見したことは今で も驚きと感謝の中、覚えています。
すなわち、実は究極のレベルでは、愛する人を失うことはない、ということがわかれば、家族や愛する人の領域においても、十分に幸せになることができるのです。
身体・健康の領域での不安を解消する方法
この身体・健康の領域では、自分が自分のしたいことを思いっきりしようと思っても、自分にはそんなバイタリティーはない、という思いを抱かれる方がいらっしゃるかもしれません。
それも幻想に基づいた感情であると申し上げたいと思います。ここでもキーになってくるのは、あなたにとっての最優先事項、すなわちミッションです。
実は誰でも最優先事項の領域では、ほかの人から尻をたたかれなくても、大きなバイタリティーを発揮することができるのです。
た とえば、私の最優先事項は「教えること」であり、その根本には、「人々をつなげること」というものがあります。その一つの最たる形が日本語を教えることで あり、日豪の交流を進めるということです。実は今週の半ばまで日本から中学生たちが私の学校に滞在しており、その準備や対応については、ほぼ24時間態勢 だったのですが、私はまったく疲れ知らずでした。日本の中学生に対する対応だけではなく、その合間に通常の授業や、その他の個人的な「教える活動」(例: セッションなど)もこなしていたのです。われながら、自分のバイタリティーには驚きました。
また、身体・健康の領域において、自分のやりたいことを最大限にやったら、病気になってしまうのではないか、怪我をしてしまうのではないか、最悪、命を失ってしまうのではないかという不安があるかもしれません。
し かし、それも、さきほど触れた「エネルギー保存の法則」から考えれば、失われることはなく、形を変えて存在し続けるということがおわかりいただけると思い ます。そもそも、ミッションとは、自分の肉体や時間や空間を越えて存在し続けるものです。したがって、自分のミッションに対する自覚度が深まれば深まるほ ど、そうした自分の身体にまつわる不安は軽減ないしは解消されてくるのではないでしょうか?
その意味で、身体・健康の領域でもあなたは十分に幸せになることができます。
社交・人付きあいの領域での不安を解消する方法
社交・人付き合いの領域で、自分の最優先事項を最大限に生きると生じる不安のもっとも大きなものの一つは、「社会的に孤立してしまうのではないか」という不安ではないでしょうか?
しかし、これも幻想に基づいた不安であるといわざるを得ません。
私たちの表層意識では、私たちは別個の身体をもち、ばらばらに存在していると認識する傾向にあります。世界に目を向ければ、様々なところで、争いや対立が生まれているニュースが流れていますので、そこに焦点を向けると、私たちの分離感は一層深まることでしょう。
しかし、私たちの「分離」というのは幻想なのです。仮にあなたが誰も友達も家族もいないと思っていたとしても、あなたの中に、あるいはあなたの外に、必ず「友達」や「家族」が存在しています。逆に相手の中にもあなたは固有の形で存在しているのです。
ある特定の形に限定しないで、ハートの目でそのような形であなたの「友達」や「家族」が存在しているのかを発見してみてください。
それは、その人からもらった知識という形でしょうか?
その人からもらった考え方や思想という形でしょうか?
その人からもらった技能という形でしょうか?
その人との大切な経験の思い出という形でしょうか?
その人からもらった大切な贈り物という形でしょうか?
その人からもらった愛でしょうか?
あるいは、
そうした、知識、考え方・思想、技能、思い出、贈り物、愛を体現している別の人の中に発見することができるでしょうか?
あなたは友達や家族がいないように見える場合でも、究極は孤独ではありません。
そう考えれば、社交や人付き合いの領域でも、あなたは十分に幸せになることができます。
過去の罪悪感や後ろめたさから自由になる方法
これまで、私たちが自分の最優先事項、すなわちミッションを最大限に生きる上で、大きな「足かせ」の一つとなっていた人間の抱える7つの不安についてみてきました。そして、ここからは、同じく自分がミッションを最大限に生きるという幸せを制限する「罪悪感」や「後ろめたさ」について考察してみたいと思います。
そもそも私たちが体験する後悔には二種類あります。それは、「自分がしたこと」そして、「自分がしなかったこと」に対する罪悪感です。ここでは、その二つの罪悪感を解消する上で、キーになる(1)ポジティブとネガティブの統合、(2)サポートとチャレンジのシンクロにシティーについて論じてみたいと思います。
ポジティブとネガティブの統合
冒頭で書きましたように、私たちが感じる罪悪感は、それが自分や相手に対してデメリットのみを与えたという一面的な認識から発生しています。しかし、この宇宙でのすべての出来事にはポジティブとネガティブの両側面があります。したがって、罪悪感を感じていることについては、自分がしたことやしなかったことによって、自分や他者にどんなメリットがもたらされたかを発見することで、ポジティブとネガティブを統合させる必要があるのです。
私の例で恐縮ですが、私が昔大きな罪悪感を感じていたことの一つに、私の教師1年目の体験がありました。教師1年目ということで、私はものすごくエネルギーレベルが高く、全力で毎日突っ走っていました。しかし、なかなか学級経営にうまくいかず、保護者からクレームをもらったりすることも珍しいことではありませんでした。そこで、私は自分の力量のなさに強い罪悪感を抱いていたのです。
しかし、私が頼りないだめ先生だったおかげで、生徒たちにもたらされていたメリットも実はそこにはあったのだということを発見して、私の罪悪感は消えたのでした。どういうことかといいますと、私がだらしなかったおかげで、生徒たちの団結感が強くなり、自分たちでしっかりしようという動きが顕著に見られるようになったということです。そういえば、生徒たちの生活態度はよく、私の記憶の中に、いわゆる生活指導で苦労をしたという記憶はありません。また、生徒たちは自分たちで額集会を組織して、放課後や週末も集まって勉強していたことも思い出されました。つまり、生活態度面と学習面で、確かに顕著な成長が見られたという事実を思い出したのです。私は時空を超えて、「いまここ」で幸せになりました。
自分がしたこと、しなかったことに罪悪感を感じるときは、そのことについて、何かポジティブな解釈をつくりあげるのではなく、事実として、どのようなメリットがあったかを見出すことがポイントであると思います。事実ではないポジティブな作り話をいくら作っても罪悪感はなくならないでしょう。
サポートとチャレンジのシンクロニシティー
私たちが罪悪感を感じる別の場合というのは、自分がしてしまったことについて、「あんなことしなければよかった」と思う時ではないでしょうか? たとえば、相手を「拒絶」してしまった、と思ったとしたら、ずっと「拒絶」について、後悔し続けるでしょう。そして、あのとき、拒絶しないで「受容」していればよかったと思うことでしょう。
しかし、宇宙は24時間宇宙の隅々まで例外なく必ずシンクロにシティーをもたらします。あなたが、ある特定の人を「拒絶」した瞬間、実は、同じ人に対して、「受容」した人も必ずいるということです。言い方をかえると、ある特定の人にチャレンジが与えられた瞬間は、別の人から同じ人にサポートが与えられるようにできているのです。
たとえば、私がクラスの中で、おしゃべりをしたり、「悪さ」をしたりする生徒に対して注意をしたりすると、その瞬間、その生徒をかばう生徒が必ず現れます。つまり、私がある特定の生徒にチャレンジを与えると必ず、同じ生徒に対してサポートを与える生徒が現れるのです。これは、私の16年以上の教師生活の中で、毎日のように体験していることですから、確信をもっています。
「でも、私の場合は、あの部屋で私と相手の二人だけだったから、その相手をサポートした人は他にはいなかった」
という意見をもたれる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、このサポートとチャレンジのシンクロにシティーは、その場だけで起こるのではありません。自分の示した態度と正反対の態度を示した人間は、(1)近くにいたかもしれませんし、遠くにいたかもしれません、(2)男かもしれませんし、女かもしれません、(3)個人かもしれませんし、集団かもしれません。
立場を変えて考えてみてください。もし、あなたが誰から強烈に「拒絶」された場面を一つ思い出してみてください。その瞬間、あなたのことを「受容」してくれた人が必ずいたはずです。それは、その場にいた人ですか? それとも、その場にいなかった人ですか? その瞬間、誰の顔が頭に浮かびましたか? そんなふうに問いかけてみると、誰かに気がつくのではないでしょうか?その人が誰であれ、その人はあなたに愛をもたらしてくれた人ではないでしょうか?
それと同じように、あなたが誰かを「拒絶」した場合、他の人が同じ人を「受容」し、その人は愛を感じているはずです。
繰り返しになりますが、宇宙はこのようにいつも必ず例外なく誰に対しても、その人がどんな境遇にある人でも差別することなく、必ずチャレンジとサポートのシンクロをもたらしてくれます。そして、チャレンジを受けた人は愛を感じることができます。私はそこに深遠な愛があると思います。
その愛を実感できれば、罪悪感や後ろめたさは消え、あなたが幸せになる第一歩を「いまここ」で踏み出せるのではないでしょうか?
おわりに
今回は、自分自身が幸せになるためには他の人の許可を得なければいけないと思っている人が多い現代社会を踏まえて、実は、私たちは幻想から目覚めて、罪悪感から自由になって自分に許可を与えさえすれば、誰でもいまここで幸せになれるというお話をさせていただきました。
あなたはいまここで幸せになれるし、実際、すでに幸せなのです。
今日も読んでくださって、ありがとうございました。
オーストラリアより愛と感謝をこめて。
野中恒宏