一般に、暴力は悪いことだとされています。
育児に関して言えば、暴力は虐待だとも言われたりします。
でも暴力は悪いものではありません。もちろんいいものでもありません。
なかなかバランスをとれない暴力に関わる出来事が2つありました。
ようやくそのワークを完了できたので、
今回の記事ではそのシェアをしたいと思います。
目次
ちょっと仕返ししたつもりが10倍返し!(教師の暴力)
1つめは小学4年生のときのことです。
その日、わたしは給食当番だったので、
授業が終わった後、
すぐにトイレに行って、
手を洗って、手を拭きながら教室に戻ろうとしていたら、
トイレの前にある隣のクラスのN先生が、
オルガンの上に座って足をぶらぶらさせていました。
わたしと目が合うと、にやりと笑って、
ぶらぶらさせていた足をわたしにちょこんとぶつけてきました。
わたしは、急いでいたのでその場は笑って教室に向かいました。
給食当番の人が列になって、給食室の前に向かうとき、
N先生はまだ、オルガンの上に座っていました。
そこでわたしは、「さっきのお返し!」という気持ちで、
先生の膝を軽く叩いて通りすぎました。
給食当番の列が、給食室の前に就こうとしたとき、
N先生が凄い顔でこちらに向かってきました。
「先生を叩くとは何事だ!」
と怒鳴って、
わたしに、跳び蹴りを食らわせました。
そしてわたしの頭を壁にがんがんと叩きつけて、
怒りながら去って行きました。
突然のことで、
わたしは何が起きたか理解できず、
しかも、頭ががんがんするので、立っているのがやっとでした。
何事もなかったように、
給食が入ったタッパをもって教室に戻りました。
担任の先生から、
「さっき、廊下で怒られていたやつがいたけど誰だ?」
と言われて、
「わたしです」
と事情を説明しているうちに、
悲しくて、悔しくて涙が出てきました。
それ以上担任の先生は何もいいませんでした。
N先生に対して、
例え、先生を叩くのが悪いことだとしても、
あそこまで叩くことなかったんじゃないか、
ひどい先生だ、憎い。
と思っていました。
ふざけすぎたとはいえ、やりすぎてない?!(父のこらしめ)
2つめは、父から首をしめられたことです。
小学1年生ぐらいのときだったと思います。
父とふざけあっていたら、
父がわたしの首を手でつかんで持ち上げて、
首つり状態にし、わたしをこらしめようとしました。
あまりに苦しいので、死ぬかと思いました。
首を絞めるのはやり過ぎではないか、と思っていました。
当時を思い出してみてそれほど嫌な感情はないのですが、
なぜか気になるので何度かワークしてみましたが、
首を絞めたことに感謝するまでには至っていませんでした。
ワークで検証!暴力の意味
そこでワークに取り組みました。
まず1つめのN先生から暴力を振るわれたことのメリットを挙げました。
暴力を振るわれたことで、
N先生と距離を置くようになりました。
できるだけ近づかないようにしました。
でも、それがメリットだとは思えませんでした。
N先生から暴力を受けてから、
いたずらを控えるようになりました。
相手を怒らせて仕返しをされるかもしれないと
考えるようになりました。
調子に乗りすぎないことで、
友人関係を良好に保つことができた可能性はあるかもしれないな、
と思いました。
担任の先生も、暴力を振るう人でした。
例えば、忘れ物をするとビンタをされました。
課題ができないときに、ビンタをされたこともあります。
N先生から暴力を振るわれたことで、
担任の先生は、N先生よりはましだし、
暴力を振るうことにも、それなりに理由があるから、納得できました。
担任の先生がましだな、と思えたことで、
学校を嫌いにならずにすみました。
これは、確かにメリットだったなと思えました。
わたしの父も、怒ると暴力を振るう人でした。
だけれども、不思議と暴力を振るわれた嫌な記憶がありません。
自分が悪いことをしたから、怒られたんだ、と納得できたので、
暴力を受け入れることができていました。
これは、確かにメリットだったなと思えました。
メリットを出していくと、
確かに暴力を受けたことのメリットはデメリットと同じだけあると感じるけれども、
N先生がわたしにした暴力に感謝することはできませんでした。
最近ワークを再開したときに、
ふと両親が不仲で家庭内がぎくしゃくする時期があり、
一番ひどいな、と感じたときには、
「これはわたしが死んで、両親に正気に戻ってもらうしかないな」
と真剣に自殺を考えたことを思い出しました。
N先生から暴力を振るわれてから、1~2年ぐらい経過した時だったと思います。
首をつって死のうと、ロープを買いに行って、
ロープを首にかけてみるところまでやってみましたが、
怖くなってできませんでした。
そのときは、「死ぬ勇気もないんだ」、と自分に絶望しましたが、
後から考えると、
家庭内はどろどろしていて苦しかったけれども、
学校は楽しかったし、
両親からの愛もそこそこ感じていたので、
実際に、自殺に踏み切ってしまうほど、
追い詰められなかったんだと思いました。
仮に、N先生がわたしに暴力を振るっていなかったら、
担任の先生からの暴力で、学校が嫌になっていました。
調子に乗りすぎて、友達となじめず、
ますます学校が嫌になっていました。
父からの暴力に過剰に反応して、
父はわたしが憎いから殴っているに違いない、
と受け止めています。
そんな状況で、家庭がドロドロしたらどうか。
わたしは、学校も楽しくないし、
両親から愛されていないと感じているし、
もう本当に死ぬしかない、
と考えたなとリアルに想像できました。
N先生は、暴力を通して、
わたしが楽しく学校に行けるように促し、
精神的に追い詰められないように守っていてくれたのか!!
N先生があそこまでひどく怒らなかったら、
中途半端に注意するぐらいだったら、
そうはいかなかったんだ!!、と気付きました。
さらに、
自殺をしようとしてロープを首にかけたところを思い出してみると、
首のあたりがなんとも言えない嫌な感じがしました。
この感覚は、まさに父がわたしの首を締めて持ち上げたときの
感覚そのものだったことに気付きました。
そうか、父から首をしめられた経験があったからこそ、
怖くなって思いとどまることができたんだ。
父はわたしが思いとどまるように、守ってくれていたんだ。
暴力によって自分が守られていたなんて思ってもみませんでした。
暴力は悪いものだと、わたしが捕らえていただけ
そのことに気付いたら、涙が止まりませんでした。
そうか、N先生の暴力をひどいことだと思わなければ、
わたしはそのときの状況を乗り越えられなかったんだ。
だからN先生には悪者になってもらっていたんだ。
暴力が悪いわけではない。
暴力を悪いものだと、わたしが捕らえていただけだ。
そんな風に自分でバランスをとっていただなんて全然気がつかずに、
暴力を振るったN先生を許せないと思っていました。
バランスはいつだってとれている。
心のバランスがとれていようが、崩れていようが、
24時間、愛に包まれて、ちゃんとバランスがとれている。
暴力も愛なんだ、と腑に落ちたら、
ものすごく心が軽くなりました。
暴力を振るってくれてありがとう!
ワークを通して、
N先生にも、
父にも、
幼かったわたしにも、
「ありがとうございました。ようやく愛に気づきました。」
と感謝を伝えたくなりました。
そこで、3人に感謝の手紙を書きました。
N先生への感謝の手紙
N先生、もう30年も前のことですが、覚えていらっしゃいますか?
わたしは先生から蹴られて、殴られて、
どうしてあんな目に遭わなければならなかったのか、
自分が悪かったんだろうか、
先生が悪かったんじゃないか、
とずっと考えていました。
でもようやく気付きました。
あれは先生の愛でした。
先生だって暴力なんか振るいたくなかっただろうに、
先生はそういう嫌な思いをしてでも、
規律を教えたかったんだ、と気付きました。
先生が真剣に向き合ってくれたお陰で、
わたしは今も元気に生きて、
幸せな家庭を築いています。
先生からの愛を、30年も経ってからですが、
確かに受け取りました。
先生あのとき怒ってくれて本当にどうもありがとうございました。
父への感謝の手紙
お父さん
お父さんから首を絞められたことが、
なぜか気になっていました。
それが、なぜだかようやく分かりました。
そこに、お父さんの深い愛があったから、
わたしはそれに気付きたかったのです。
お父さんと、お母さんが離婚しそうになったとき、
お父さんと、お母さんが感情的に翻弄されているように見えて、
それを自分ではどうしようもない、止められないように見えて、
とても苦しく感じました。
わたしが死ねば、
もしかしたら、お父さんと、お母さんは正気に戻ってくれるかもしれない、
と短絡的に考えました。
でもいざ死のうとしたら、怖くてとてもできませんでした。
そのときは、
死ぬこともできない、
と自分に絶望しましたが、
死のうとしたときに、
無意識ではお父さんの愛にちゃんと気付いて、
苦しいけれども生きることで家族の絆を取り戻そう、
と思い直せたのだと気付きました。
お父さんに対するワークをすればするほど、
お父さんの愛の大きさに気付きます。
愛されていなかったわけでも、
必要とされていなかったわけでもなく、
大きすぎるお父さんの愛に、
わたしが値しないと思っていただけだった気がします。
お父さん、
今わたしは昔夢見ていたようなとっても幸せな家庭を築けています。
お父さんが
家族を大事にしようと思いながら、
なかなか思ったようにいかず、
もがき、苦しみながらも
最後まで家族と一緒にいることを選んで、
家族を愛してくれたからこそ、
わたしもその愛を受け取って、
ちょっとずつ自分の価値を認められるようになって、
今の家族に愛を分かち合うことができています。
お父さんの子どもで、本当によかったです。
お父さん、大きな愛で包んで育ててくれて、
本当にどうもありがとうございます。
心から感謝しています。
あの頃のわたしへ
とってもつらい思いをしましたね。
気付いているかもしれないけれども、
そのつらい思い、経験によって、
わたしは救われ、今とても幸せに暮らしています。
あなたが自分の人生を投げ出したりせず、
自分の人生と向き合ってくれたからこそ、
今のわたしがあります。
あなたが思っている以上の幸せが、
ここにあります。
諦めないで、真剣に生きてくれて、
本当に、どうもありがとう。
あなたが受け取って、
わたしが気づけなかった愛に、
ようやく気づけましたよ。
本当に、どうもありがとう。
おわりに 暴力をふるってしまう自分を責めている方へ
今回のワークのように、
暴力を振るってしまう相手を責めるとき、
暴力も愛なんだと気付くと、
暴力を振るった相手も、
まるごと愛することができます。
前回のワークのように、
暴力を振るってしまう自分を責めるとき、
暴力も愛なんだと気付くと、
暴力を振るう自分も、
まるごと愛することができます。
もし暴力を振るってしまう自分を責めていらっしゃるようでしたら、
暴力を振るったからこそできていること、
しなくてよかったことに目を向けてください。
もしかしたらあなたの暴力が
何らかの形で相手の命を守っているかもしれません。
ぜひワークをして、それを確かめてください。
きっと探していたきらきらとした愛が見つかりますよ!