はじめに
あなたには夢がありますか? そして、あなたなはその夢をいつ実現するつもりでいますか?
「いやあ、少なく見積もっても数年、いや10年くらいはかかるかもしれない」
「とんでもない。それはあくまで夢であって、まず実現しないと思う」
など、色々な考えをお持ちのことでしょう。
しかし、今、あなたの夢はすでに実現しているといったらどうでしょう?
「何をいってるんだ。今実現していないから将来実現しようとしてるんじゃないか。今、夢が実現してるだって? それこそ夢じゃないの?」
という声も聞こえてきそうです。
しかし、私は断固いいたいと思います。
「あなたの夢は今ここで実現している」と。
今回は、私がそう思うようになった一つのエピソードをまずご紹介したいと思います。あなたの夢実現について、何か参考になれば幸いです。
「未来のない」少年
私はブリスベンの小学校に勤務している一日本語教師ですが、最近、ある車椅子の生徒を教えることになりました。
車椅子自体は珍しくないのですが、その子は、日に日に筋肉が硬直していき、やがては大人になる前に「死」に至る可能性の高い病にかかっています。
昨年の今頃は立って歩くこともできたのですが、今は車椅子から立ち上がることもできなくなりました。
そして、最近は、腕の筋肉も思うように動かなくなり、授業中に質問に答えるときに手をまっすぐ上にあげることもできなくなりました。
病気が速度を上げているのではないかと懸念する声も一部の教師たちからあがっています。
この子のために保護者や専門家も交えて学校全体で真剣に何ができるか考えています。
その話し合いの場では、その子の抱える過酷な人生に涙する教職員も珍しくありません。
しかし、泣いてばかりでは教育活動とはいえません。何がこの子のためにできるのかという現実の問題を考えなければいけません。
教育委員会はこの子のために、学校にエレベータを設置しました。エレベーターが故障したときは、学校一番の力持ちの校長先生がこの子を抱えて移動を助けます。
教室を移動するときは、数人のクラスメイトが車椅子を押します。
そんな子に今年初めて日本語を教えることになったのです。
「未来は今」?
授業前から私はするどく自分の教師としての力量を試されることになりました。
オーストラリアは1月から学校の新年度がはじまるのですが、日本語の授業では自己紹介について扱うことが結構あります。
この生徒のクラスでも自己紹介を教えようと思いました。しかし、計画段階のときに、ふと思ったのです。
自己紹介のときには、将来の夢を語ったりすることも教えたりしますが、果たして、大人になる前に命を落とすかもしれないこの子のいる教室で「将来の夢」というテーマをどう扱ったらいいのかという疑問がわいてきたのです。
さらに、今までの私の授業というのは、いわゆる「健常者」向けの授業であり、病と格闘する子どものことは考えてこなかったのではないかという自己批判もうまれました。
「じゃあ、将来の夢を語ることは扱わないようにしようか?」
一瞬、そんな考えが頭をよぎりましたが、いや、教えたいという気持ちが湧き上がってきたのです。
それは、まず第一に、将来がないと決まったわけではないし、もし、その子の抱える病気について医学的なブレイクスルーがおきた場合、その子の病気は治るかもしれないじゃないかと思ったのです。
そして、第二に、
「宇宙では何も失われていない(Nothing is missing in the universe)」(Drディマティーニ)
という、エネルギー保存の法則に照らし合わせると、実はこの子の夢はすでに実現しているのともいえるのではないかと考えたからです。
「えっ? 将来の夢が今実現してる? だって、この子は将来生きられないかもしれないんでしょ? あなたは教師として、そんなまやかしを教えるの?」
という意見をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、決してまやかしやはったりや強がりでいっているのではありません。
私たちが「失っている」「欠乏している」と思っているものは、別の形で「獲得され」何らかの形で今ここに存在しているのです。
といっても、あまりに荒唐無稽な話かもしれないので、ちょっと身近な例から説明させてください。
「未来を今」生きる私の娘
私には11歳になったばかりの娘がいるのですが、娘は実に様々な形で、まだ来ていないはずの「未来」を「いまここ」で体験しています。
たとえば、娘がおもちゃを使ってままごとをして私にお茶もどきの水をくれたり、壊れたパソコンのキーボードを使って何か忙しそうにしたり、台所に自分の「レストラン」をつくり、私に食べ物もどきをもってきてくれたり、シーツを身体に巻きつけてロングドレスのようにしたり、ipodに自分の思いを録画しまるでYoutubeで人々に語りかけるようにしたり、そういう姿を見ていると、大人になったら経験するかもしれないことが「いまここ」に形を変えて存在していることがよくわかります。
「でも、それはマネをしているだけであって、本当の未来じゃないでしょ?」
とあなたはいいますか?
しかし、それはあなたの現実であって、娘の現実ではありません。大人の現実のフィルターを通してみると、それは「うそ」といえるのかもしれません。
しかし、娘の現実はとてもリアルです。娘には一切の芝居はありません。本当に真剣になりきり、楽しんでいるのです。
私は娘の現実にとっては、そこで展開している「ごっこ」は、未来に体験するかもしれないことと、エネルギーの質においては、全く変わらないのだと思います。
その意味で、私は娘は「未来を今」体験していると思っています。
私たちは家庭、学校、職場、マスメディアなどを通じて、心の奥底までしみこむように、二元論の中で「形」を教え込ます。その中である形であるかないか、を徹底的にしこまれます。
その結果、大人になるにつれて、多くの現代人が「未来」と「今」を分断し、「未来の夢」と「現実」を全く別個のものとして考えるようになります。
こうした生活態度の中では、自然と時間というのは、過去から現在に流れ、やがて、それは未来へと進むという、いわば「水平線」型の時間軸を当たり前のものだと考えるようになります。
この軸で考えると、冒頭で紹介した「難病」を抱える男の子には、未来はないということになり、単に死に向かって、進むだけの存在になってしまいます。
しかし、実は時間軸というのは、その一つだけではなく、実は縦軸としての「いまここ」の時間軸も存在するのです。
この時間軸の中には、「過去は今」存在し、「未来も今」存在します。
と、説明されてもまだ理解できにくいかもしれませんので、今度は、娘以外の例を紹介したいと思います。
「未来を今」生きた幕末の志士たち
あなたは日本史、特に幕末が好きですか? 私は幕末の歴史が好きで、昨年は坂本龍馬のゆかりの地である京都と高知へ一人旅をしたほどです。
私は幕末には、何人かの志士が「未来を今」体験したと思っています。
その代表格が坂本龍馬です。
彼は幕末当時の日本にあって、「未来を今」生きていた数少ない人間の一人です。黒船来航以降の日本では、いわゆる外国人を排除する「攘夷」の嵐が吹き荒れ、実際に外国人の屋敷を焼き討ちしたり、外国船を砲撃する事件も起きています。
そんな中、外国と貿易をして関係を結び、まずは国力を蓄え、その後、外国と対等の力をもつべきだ、という龍馬の思想は当時の多数派には全くもって理解されなかったといっていいでしょう。
また、政治についても今日の議会制民主主義のビジョンももっていました。
そして、彼は今日多くの会社が普通にやっていても、当時はほとんど誰も考えつかなかった外国との貿易ビジネスについてのビジョンももっていました。
さらには、彼は実は日本人ではじめて新婚旅行をした人でもあります。当時女性は家から出ること、そして、男性といっしょに手をつないで歩くことなどは習慣としてなかったので、ましてや新婚旅行で九州旅行をするなど、当時としてはまさしく「未来を今」体験することだったのでしょう。
このように、龍馬は政治的、経済的、個人レベルで、「未来を今」体験していたといえると思います。つまり、彼の中ではすでに明治時代がはじまる前から未来をすでに実現していたといえるのではないでしょうか。
また、龍馬だけではなく、吉田松陰も「未来を今」生きた人だったのではないでしょうか? 彼はペリーの黒船が来航する何年も前から将来日本は外国と向き合うことになるということに確信をもっており、多くを学び、多くの行動を起こしてきました。彼は志半ばで、死罪になるわけですが、彼の志は、松下村塾で学んだ、桂小五郎、高杉晋作、久坂玄随らに受け継がれていきます。
「未来を今」生きる「現代の哲人」
もう一つ、例をあげさせてください。
彼の名はジョン・F・ディマティーニ。人間行動学の世界的権威であり、「現代の哲人」ともいわれる人物で、一年間のほとんどを世界中を飛び回り講演活動、セミナー活動、研究活動をしています。
彼も「未来を今」体験しました。
実は彼は小学生のころ、担任の先生から「学習障害児」というレッテルをはられ、学習的には全く希望も未来もないという状態を体験しました。
そんな彼が、ポール・ブラグという人物に出会い、自分の中にある天才性に目覚めることになります。
彼は世界中を講演してまわり、大勢の聴衆を感動させているビジョンがクリアに脳裏に浮かんだそうです。
そして、彼は今文字通りそうした人生を生きているわけですが、彼は昔から「未来を今」体験していたといえるのです。
以上の例から、未来にしか実現しないと思っていることは、実は夢は「いまここ」で実現している。逆に、「いまここ」で実現していなければ、将来においても更に大きな形で実現することはない、ということをご理解いただけたら幸いです。
未来を「いまここ」で生きる!
話を冒頭の男の子に戻しましょう。
私はこの生徒はより充実した人生を生きるうえで、貴重なメッセージを送ってくれていると思います。
たとえば、時間軸は過去から現代、そして未来に向かう「水平線型」だけではなく、未来も過去も「いまここ」に存在する「垂直型」の時間軸も存在するということ。私たちは過去の罪悪感や後悔、そして未来の不安や恐怖などの幻想を生きるのではなく、「いまここ」で生きる存在であること。
そして、将来実現されるかもしれない夢は、実はいまここですでに実現していること。
そういった人生の真実を身をもって教えてくれていると思いました。
☆
最初の授業で、彼は日本語の授業に興味を示してくれました。身体の部位を学ぶときに私はダンスを踊りながら教えるのですが、彼も動きにくい両手を一生懸命動かしながら、いっしょに踊ってくれました。
これからも、彼と大いに「未来を今」生きていきたいと思います。
あなたも、ぜひ、いまここであなたの夢がどんな形で実現しているかを発見してみてください。
日常生活の中の忙しく騒々しい頭を一度リセットして、あなたのハートにまっすぐ尋ねてみてください。
あなたはすでにあなたの夢ととともに生きていることをご存知のはずです。
「宇宙では何も失われていない(Nothing is missing in the universe)」(Drディマティーニ)
読んでくださって、ありがとうございました。
オーストラリアより愛と感謝をこめて、
野中恒宏