目次
はじめに:まだ一度もお会いしたことがないあなたへ
真剣にこの手紙を書きたいと思います。それは、どうしてもあなたに伝えたいことがあるからです。
私は東京で5年ほど教師をしていました。教師はあこがれていた職業だったので、毎日全力でがんばりました。子どもたちも真剣に応えてくれました。
でも、その途中で、その仕事をやめなければいけない事態に遭遇するとは夢にも思っていませんでした。しかし、その「試練」の体験には、とても深遠な愛と機会が含まれていました。
「うつ」から生まれた「成長」という言葉
何が起きたか?
私にとって大切な人が自ら命を絶ったのです。
私は目の前が真っ白になりました。私はしばらく息をしていたかどうかも覚えていないほど、たたきのめされました。
それから、仕事の激務もあり、どんどん疲れていき、学校には足を引きずるようにして毎日ようやく勤務していましたが、ある日、私は「うつ病」と診断されました。心の中には何かいつも鉛の玉のようなものがいつも重たくつっかえており、息をすることが本当に大変な作業のように思える日々でした。
その結果、あれだけあこがれていた教職を辞しました。子どもたちは、毎日明るく振舞っていた先生が実はうつだったという事実にショックを隠しきれず、涙ながらに「やめないでほしい」と訴えてきましたが、私の中にはもう一日も教師として働く力が残っていませんでした。私は最後の力をふりしぼって、生徒たちの前で別れの挨拶をしました。
「これからは、教師と生徒ではなく、お互いに自分たちの成長に妥協しないよきライバルになろう」
といいました。教室はしんと静まり返り、私も生徒も泣くことしかできませんでした。
私は、うつでありながらも、成長という言葉が自分の口から出てきたことに驚きましたが、私はさらなる成長のため、また、生徒たちとの約束を果たすため、不安はありましたが、日本を出国しオーストラリアで留学生として第二の人生を送る決心をしました。
2000年の4月15日の出国の日。成田空港にまで見送りに来てくれた生徒たちの涙やぎゅっと握ってくれた手の感触は一生忘れることはないでしょう。
「オーストラリアに行って、もっと色々と大学で勉強して最高の先生になってください」
そういってくれたK君の言葉も胸に抱きながら、私はブリスベンに到着しました。
こいつを殴って辞めてやる!?
あなたは、オーストラリアといえば、コアラやカンガルーがいて、一年中夏のような気候で陽気な国で、そこにいけば、ずっとハッピーでいられると思われるかもしれません。
私もそういう期待が心の中にあったのだと思います。でも、それは幻想でした。留学生活の様々なプレッシャーや不安やストレスなどもあり、私のうつは一向に消えることはありませんでした。
でも、その後も紆余曲折がありつつも、こちらでも念願の教師として、教壇に立つことになりました。
しかし、言葉も文化も違う町で、正直日本人に対する差別も若干入り交じる中、私のうつはどんどん悪化していきました。それはうつと怒りの悪循環の毎日へとなって現れました。そんな中、私は小学6年生のD君に出会いました。
いつも「授業妨害」ばかりするそのD君に私は頭を悩ませ、いつかこの生徒をぶんなぐって教師を辞めるか、こっちが人生をあきらめるかしかないくらいの切羽詰った状態に追い込まれました。
そんな中、私はある言葉に出会いました。それは、
「全ては愛であり、それ以外は幻想だ(Love is all there is. All else is illusion.)」
というDrディマティーニの言葉でした。
私は当時、うつが普通の状態だったので、「全てが愛」という言葉は到底受け入れられませんでした。でも、人生というのは不思議なもので、私の友人がDrディマティーニのことを勉強しており、すすめられるまま、私は彼の本やDVDで学習するようになっていました。
DVDで初めてDrディマティーニを見た第一印象は、「とても早口で何をいっているかわからない」でした(苦笑)。でも、涙ながらに何かを熱く語っている彼の姿を見ているうちに、
彼は真実を語っているにちがいないと思いました。
その後もDrディマティーニの本や音声教材などを使い勉強していくうちに、私は直感的に、私のうつを克服するカギはここにあると思い、思い切って、彼の「ブレイクスルー・エクスペリエンス」という二日間のセミナーに参加することにしました。
ブレイクスルーできない。。。。
そのセミナーはブリスベンで開催されたので、もちろん日本語の通訳はなしで、Drディマティーニのレクチャーも、哲学、量子物理学、心理学、社会学、神学、生物学、医学、価値学、宗教など幅広くかつ深い内容を扱うものだったので、頭がパンクしそうになりましたが、Drディマティーニが図などをふんだんに利用し体系的にまとめていたので、何とか少しは理解することができたような気がしました(今振り返ってみると、40年以上にも及ぶ彼の研究の成果がぎゅっとつまった世界最高峰の大学院レベルの講義を受けていたのだと確信がもてます)。
そして、必至に聴いていると、それまで見えなかった真実の世界が少しずつ目の前に現れてくる感じがしました。
私がそのセミナーで学んだことの一端をご紹介すると、
・それまで私が真実だと思っていた世界は、実は全体の本の一部でしかなかったこと、
・地球上の90パーセント以上の人間は様々な幻想に足をひっぱられているということ、
・罪悪感や不安の正体、
・ポジティブ思考の限界性、
・ミッションの見つけ方、
・なぜこの世界がバランスでできているのか、
・私たち一人ひとりの価値観が人生にもたらす影響、
・アンバランスな認識が身体や心や人間関係や宇宙に及ぼす影響、
・ミクロからマクロまで一貫しているこの宇宙の構造
などでした。
そして、いよいよ彼の開発したメソッド(ディマティーニ・メソッド)を実践する時間になりました。
私はどんなすごいことが始まるんだろうと思いましたが、実際は、目の前の紙に書かれてある14の質問にペンで答えを書き込んでいくという一見単純なものでした。
こんなシンプルな作業で、「全てが愛である」ということを実感できるんだろうか? 自分はうつと怒りの悪循環から抜け出せるんだろうか、半信半疑でした。
そこにある14の質問は普段はしたことのない質問ばかりで正直戸惑いました。たとえば、先ほど書いた「問題生徒」のD君の授業妨害をすることについて、どんなメリットを私が経験したのかを書く場面があったのですが、
「そんなバカな。メリットなんてあるはずがない。その証拠に俺はうつと怒りの悪循環がうまれたんだし。。。。」
という思いがわいてきて、とてもメリットがあるなんて一ミリも思うことができませんでした。
結局、長い時間格闘しましたが、メソッドを完了することができず、翌日に持ち越すことになりました。
周りを見ると、すでにメソッドを完了させて、涙を流しながら、感謝を表現していらっしゃる方が大勢いらっしゃいました。それまでの心の重荷が取れて、ようやく人生で新しい一歩が踏み出せるという感動が伝わってくるようでした。
私は正直、うらやましかったです。実はそのとき、私の体中にはじんましんができていて、かゆくてワークに集中することが困難な状況でした。それはまるでD君が自分の近くで授業を邪魔しているかのような感覚に近いものでした。
「ブレイクスルーした人たちに比べて、自分はメソッドが完了できないだけでなく、感謝のかの字もわいてこないなんて」という思いが湧き出てきて、
「自分には効き目はないんだなあ」と思いながら夜の会場を後にしました。正直明日来るのをやめようかどうしようかと思いましたが、Drディマティーニが会場の参加者が全てブレイクスルーするまで絶対にあきらめないという姿勢を明確に打ち出していたので、私はもう一日だけがんばることにしました。
生徒たちとの「再会」
翌朝、会場についたとき、私はディマティーニ・メソッドのファシリテーターのEさんに出会いました。まだ20歳くらいの若い女性でしたが、彼女の確信に満ちた姿勢は私の疑念を払拭するのに時間はかかりませんでした。
実は彼女は以前は自殺も考えたこともあるくらい悩んだ経験のある方だったのですが、ディマティーニ・メソッドとの出会いによって人生が大きく変わった一人です。彼女は今では何冊ものベストセラーを世に送りだすなど、ミッションをまっしぐらに生きていらっしゃいます。
私はまた全力でメソッドを使って、自分の心を深く掘り下げてみました。ただひたすら、掘って掘って掘りまくりました。
途中、不明な点があっても、目の前のEさんが的確なアドバイスをしてくれたので、何とか最後までやりとげることができたました。
と、その瞬間、私の目から大量の涙が流れ始めました。
「そうだったのか! そうだった。。」
私は言葉を続けることができず、感謝の涙を流すことしかできませんでした。
それはそれまで見えなかったその生徒(D君)の真実、そして、人生の根底にある愛をはじめてハートで実感した瞬間でした。
私はあれだけ憎かったD君がまるで私の血をわけた弟のように思え、そして、彼が私を実に他の人ではできないような深いレベルの愛をくれていたこと、
そのおかげで、私は人間として教師として成長できていたんだということを実感したのです。
「あっ! そうか! そうだよっ、成長!」
その瞬間、私は日本に残してきた生徒たちの表情が目に浮かびました。私はその「成長」という言葉から、2000年の4月に日本の生徒たちと約束した成長が実はこの目の前の生徒からもたらされていたんだという事実に、さらに大きな感謝の気持ちが沸き起こりました(また号泣)。
「お互いの成長に妥協しないよきライバルになろう」
この私の願いは、文化や言葉や目の色の違いを超えて、やはり「生徒」からもたらされていたのです。
D君のまさに妥協しない一貫した私への厳しい働きかけは、何十冊の本を読むよりも確実に私を成長させるに十分なものだったのです。
私は日本の生徒たちが今ここにいるような気がしました。私は彼ら彼女らに対する愛をかみしめていました。私は時空を超えて、日本の生徒たちと「再会」したのでした。
そして、今回対象にしたD君に対しても私は抱きしめたいくらいの愛を初めて感じていたのです。私は実際にD君に対面していたかのような実感を体験しました。
そして、私は自分の天命は教職にあることを実感しました。私は教師を続けていこうと決心したのでした。
そして、ブレイクスルーエクスペリエンスは無事終了しました。昨晩、あれほど苦しかったじんましんが、いつの間にか体から消えていることに気がついたのは会場を出てからでした(注)。
全ては愛でつながっていた!
奇跡はそれで終わりませんでした。ブレイクスルー・エクスペリエンスが終わった翌日の月曜日に学校に行ったとき、D君の姿が目に飛び込んできました。
私は不思議とそれまでの怒りやイライラした気持ちはみじんもなく、すっきりした気持ちで挨拶をし、「昨日、君に会ったんだよ」という彼には意味不明なことを行って、授業を始めることになりました。
「えっ? なんで?」
私は目の前の光景に驚きました。なんと、それまで一度もまともに席について授業を受けたことのなかったD君が、最初から最前列の席に座って、黒板に書かれた課題をノートに写して取り組んでいるではありませんか!
それは私には衝撃的な光景でした。そして、わからないところは質問までして、なんと彼はクラスで一番最初に課題をやり遂げてしまったのでした。
「なんだこれは?」
私は目の前で展開しているSF小説のような展開にただ驚くばかりでした。すると、頭の中に何か巨大で深遠なイメージのようなものがわいてきました。
それは言葉では説明しにくいのですが、あえて書くと、全てはつながっていて、人知を超えた大きな存在が私たちに完璧な秩序をもたらしているというものでした。
別にひげをはやした神様が現れたわけではなく、五感を超えて、直接脳が真実を実感したかのような不思議な感覚でした。私はこうした一連の経験があったからこそ、今でも教師を続けられていると断言できます。
あのとき、一大決心をしないで、ブレイクスルー・エクスペリエンスに参加しないで、そのまま毎日を続けていたら、今日の私はないと実感しています。
私はこのセミナーによって現実に生きる力を増大し、ミッションが拡大しました。そして、その後の人生でも使えるツール(ディマティーニメソッド)を獲得しました。実際、その後、「うつ」は消失し(注)、職場、家庭、健康、お金など様々な困難もメソッドを使って克服することができましたし、いくつもの願望を達成してきました。
おわりに
以上が、あなたにどうしても伝えたかったことです。
もう、あなたもお気づきかもしれませんが、私のミッションの一つは「人々をつなげる」ことです。正確にいえば、全てはつながっているので、そのつながりに目覚めていただくことが私のミッションといえると思います。そして、このセミナーで体験した「全てはつながっている」という深遠な愛の体験が、私のミッションの方向付けをしてくれたといえるのです。
今、私は教師として様々な形で人々をつなげていくというミッションを毎日生きています。
あなたは、私の文章をお読みになってくださっている間、私だけではなく、私の生徒たちともつながってくれました。本当にありがとうございました。
オーストラリアより愛と感謝をこめて。
野中恒宏
注:現在「うつ」やその他の身体の症状で苦しんでいらっしゃる方は、まずは専門の医療機関に相談されることをおすすめいたします。ディマティーニ・メソッドは医療行為を目的にしたメソッドではありません。
おまけ
今回の私の体験をアニメにしました。もしよろしければご覧ください。