こんにちは。新潟県在中の長場です。
いつの頃からかは忘れてしまいましたけれど。
僕は人の痛みを癒すことができるようになりました。
いわゆるヒーリングってやつですね。
ありがたがられることも多くありましたが
単に「変わった人」と思われていたようです。
今もそうですね。それでいいと思います。
そう思えるようになったのはDr ディマティーニのおかげです。
初めてDr ディマティーニの「ブレイクスルーエクスペリエンス」に参加したのは2013年の9月でした。
いつの年も心に残ることがありますが、2013年はちょっと特別だった感じがします。
「ブレイクスルーエクスペリエンス」に行くまでに何があったのか。
少しお話しましょう。
2013年、Dr ディマティーニに出会うまでの出来事
2013年にはまず、僕がもっとも尊敬するミュージシャン!デヴィッド·ボウイが
自らの誕生日!1月8日に復活したんです!引退説が流れる渦中に!
ドーパミンとエンドルフィンとセロトニンがいっぺんに出たんじゃないかと云う感じ。
仲のいい人たちに電話したりメールしたり。
みんな僕のボウイ狂いを知っている人たちです。
その一人が僕を息子のように愛してくれたヒーラーの女性でした。
除霊なんかもバリバリしていた人だったから、僕はヒーラーと云うよりも霊能者だと感じていましたね。
で。この母親のような人も僕に感化されてボウイファンになってたんですね。
二人でわいわいと盛りあがったことが懐かしいです。
母親代わりのヒーラーの女性の体調悪化
この頃から彼女は体調を崩しがちになって来ました。
彼女は太平洋側。僕は日本海。
遠隔でヒーリングを行いその時々の不調は緩和していましたが近くにいるわけではない。
様子がよくわからない。
すぐに元気になるものだと思っていました。
3月の終わり頃。フジロック3日目のヘッドライナーがザ·キュアーに決定とのニュース。
ボウイの次に好きなのがザ·キュアー!またしても昂奮したことは言うまでもなく。
「ボウイ先生復活にキュアーの来日とは!今年はなんと素晴らしい年なんだ~!」てな感じ。
僕の母親がわりにも話しましたよ。電話して。
「よかったね。あなたはそう云う楽しみがあって幸せだね。」
その頃はだいぶ調子もいい様子でした。
出会った当初から、「私はこの年齢で死ぬ運命だ。」と言ってました。
僕は気にしてなかったけれど。信じてもなかったし。
2013年は彼女のその年齢にあたる年でした。
さすがに心配になりましたね。
4月に入ると彼女の具合は悪くなって行きました。
それでも人を癒すことを続けている様子でした。
離れているので本人から電話で状況を聞くだけしかわからない。
体に良さそうなものを送ってみたり。薬草を採ってきて送ったなぁ。
ほとんど毎日電話してきたので調子が良いものだと安心していましたが。
5月の中頃でした。容態が突然悪くなって緊急入院したのは。
その時は2日ばかりで退院して検査の結果「たいしたことはなかった。」そうでした。
また病室で何をしてきたのか、「退院する時同じ病室の人たちが祝福してくれたの!」
どこに行っても人気者になる人でしたね。ホッとしましたよ。
偶然の導きで病室を訪ねる
それから10日程。僕は所用で東京におりました。
朝から渋谷周辺で活動してまして、滞在している茅場町のホテルへ帰途についたのが夜の10時くらい。
地下鉄の半蔵門線に乗っていたらスマホに電話。
彼女のお弟子さんからでした。地下鉄乗っているから後でかけ直すと。
東西線に乗り換えて茅場町に着くと、iPhoneを取り出してかけ直しました。
「さっきは失礼しました。今ちょっと東京来てるんです。」
「そうでしたか。実は先生また入院しまして。」
えっ?末期ガン?にわかには信じられない言葉。
「この前たいしたことないって言ってたのに。」
「お医者さんもいきなり告知できなかったみたいです。」
どこかで少しお酒を飲んで帰るつもりでしたが、そんな気分はなくなりました。
コンビニでウイスキーを買ってホテルに帰って飲みました。
飲みながらいろいろ思いましたね。
よく朝起きるとお弟子さんに電話して入院先の病院を聞き、彼女の携帯に電話。
「俺今東京にいるんだ。これから会いに行くよ。」
か細い声のこたえ。
「あまり大丈夫そうじゃないね。ともかく行くから。」
チェックアウトの時フロントでプリントしてもらった電車の乗り継ぎをポケットに入れて千葉県内のある街へ。
1時間あまりかかるらしい。
電車の中ではショルダーバックに入れてきた本を読んでいたけど何の本だったかは憶えていない。
なんだか不思議な感じでした。
「ほんとは今頃家に帰っているはずなんだけど」なんて思いながら。
電車を乗り継ぎ最寄の駅に着きました。
空は青くて午前中ながら日差しも強い。汗ばむくらいに。
来たことのない街なので、道を聞いてもまた迷う。
見当はずれもいいところ。
かなりのまわり道をしたけれど、それでもなんとか着きました。
入院病棟のナースセンターで病室を訪ねる。
病室まで来てドアをノック。
「はい。」
「俺だよ。入っていい?」
「いいわよ。」
ベッドの上で力なく横になっていました。
弱々しく小さくなったような。
僕はすぐに彼女にエネルギーを送り始めました。
今となってはその時何を話したのか憶えていません。
けっこう話していた気がします。
話しながらエネルギー送ってました。
少し顔色もよくなり声にも力が出てきました。
「お茶も出さないでごめんね。」
「気にしないでよ。なんか自販機で買って来るから。」
それからしばらく病室にいました。かなり元気も出てきました。
僕が帰るときにはベッドから起き上がってゆっくりですが歩いていました。
帰りに歩きながら、お弟子さんに電話しました。
「元気そうだったよ。」って。
つづきはこちら 欠乏感・喪失感は埋められる~Dr ディマティーニに出会うまで その2
※ 写真撮影も長場さんです。